2020.3.3
歴史にパンチ!歴史にポンチ!
インフルエンザにかかったことがない。
ここ7、8年は風邪もひいたことがない。その前は年に一度くらいは風邪をひいていたもんだが。めちゃめちゃ免疫力が高くなっているのだろうか……そんなプチ万能感にひたっていたが、思い返せば、8年前にバイトをやめている。イラストレーターを専業にすると家にいることが多いので、結局は風邪をうつされる機会が減っただけなのでは、という結論に至った。
あ、そうそう。京都の嵯峨嵐山文華館で開催中の「百人一首って」展も3月2日〜17日まで臨時休館。21日に予定されていたトークショーも中止となりましたので、ご報告申し上げます。
日本にやってきた画家チャールズ・ワーグマンが1862年に創刊したのが「ジャパン・パンチ」。雑誌名はイギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」に倣った。
そこで描かれた滑稽で風刺の効いた絵を「ポンチ絵」と呼ぶようになった。ところで「平凡パンチ」のパンチはただのグーで殴るパンチの意味なんでしょうか。
今週は、ポンチ絵描きのはしくれの、最近の仕事でも紹介して終わることにしましょう。
雑誌「てんとう虫」で連載されている小和田哲男さんの「新訂 日本の歴史」に絵をつけています。歴史の授業で習ったことも、今はそうじゃないってことが結構あります。
●歴史の授業で日本最古の通貨と教わった和同開珎。しかし、幻の通貨とされていた富本銭(ふほんせん)が数多く出土されて、今ではこっちが最古の通貨になっている。2行に要約すると、コラムの内容はそういうことでした。ポンチ絵師はない頭を使ってどう描く?
物々交換で、稲や布などが銭貨の代わりだったのを、唐に倣って貨幣経済を実現しようとしました。その1300年後、我々はまた中国に倣おうとしています。
●1192年が鎌倉幕府の成立で「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と教わったけど、幕府の骨格、実質的な支配機構を考えると、1185年「イイハコ(箱)」説が主流になりつつあるようです。ポンチ絵師は知恵がないので、そのまんま箱の展開図にしてみました。
●源頼朝の肖像画が、実は源頼朝じゃない、というのも最近は確定的になっている。
いかにも源頼朝ってこんな人だったかもな〜って感じしてたけど。あれは誰かというと足利直義(足利尊氏の弟)。そうすると足利直義がなかなかの雰囲気の人だったんですね。足利尊氏の肖像画も実はあれは高師直(こうのもろなお)って人なのではないかという説が強い。
武田信玄も全然違う顔らしいね。
黒澤明の「影武者」は勝新太郎をという役者を使ってみたいという理由以外に、武田信玄の肖像に勝新太郎がよく似ているということもあったはず。つまり、武田信玄の肖像画が別の人だったら勝新にオファーしなかったかもしれないですよね。
勝新VS黒澤事件はもうずいぶん前のことですが「てんとう虫」の読者年齢層的にはつい昨日のようなことだと思って描きました。
●神仏も恐れぬ所業で大殺戮を行った残忍非道な激情家、織田信長。
比叡山延暦寺焼き討ちは有名です。「信長公記」にも同時代の人の日記にも、そのヒドさが記されている。
しかし、後の発掘調査で明らかになってきたことは、比叡山焼き討ちは小規模だったということ。「全山の諸堂が紅蓮ぐれんの炎に包まれ、大殺戮がくりひろげられた」とするイメージからはほど遠いということが浮き彫りになってきたらしい。
では山科言継や宮中の女官が書いた日記は嘘だったということか。
いや、京都から比叡山はよく見える。夜空を焦がす火を見れば、相当焼けてるなと思っても不思議じゃないし、噂には尾ひれがつく。
そういうこと今もよくあるよね?
●織田信長が武田勝頼を破った長篠・設楽原の戦い。中世的騎馬軍団VS近世的鉄砲隊の戦いということで「信長の鉄砲革命」とも言われてきた。
いや、それもちょっと待った!
その理由を書くのはこのブログの役目ではないので書かないが(笑)テレビや映画で見てるイメージとはだいぶ違うみたいよ。