2020.7.14
その衝撃を「ヘタうま」という。
今日は対談の更新をもってブログの更新とす。
というわけで【対談】都築潤×南伸坊×伊野孝行の4回目更新しました。
中学生の頃から映画のチラシを集めたり、「年鑑日本のイラストレーション」を見ていた都築さん。おませなイラストファンだったのです。でも、その都築さんが予備校生の時にはじめて湯村輝彦さんの絵を見た時の反応が面白い!
「こんな下品で汚い絵が世の中にあるんだ」とショックを受けて、その後、都築さんは改宗して、ご自身もヘタうまな絵を描き出すわけですが、お話を聞いていると、当時の業界でさえ、湯村輝彦さんの絵に対する拒否反応があったんですね。その衝撃こそが「ヘタうま」だとする都築さんの主張(狭義の意味でのヘタうまは湯村輝彦だけ)にもうなずけます。
ぼく自身は、湯村輝彦さんよりも前に、蛭子能収さんを知ったんです。ついでに言えば横尾忠則さんよりも先に蛭子能収さんを知った。それらは少しの時間差でしたけど、はじめて見たものを親だと思い込む、カモの子みたいに、蛭子さんの見た時のびっくりさが、自分の中の絵画史ではおっきいんです。
でも、すぐ後に、湯村さんの方がウマい!とわかりました。ヘタうまにウマいと言うのもなんですが。そして私も湯村さんの大ファンになっていきます。
ちなみにその頃、蛭子さんはテレビには出てませんでしたし、名前の読み方もわかりませんでした。
ぼくの時代はヘタうまがブームになった後だったので、特に拒否反応もなく、むしろ尻尾を振って好きになっていったのですが、ぼくより9歳上の都築さんの拒否反応がすごく新鮮でしたね。
読んでくださいね、チョーめんどくさいんですから。文字起こしとか、図版入れたりするの。