新・伊野孝行のブログ

タグ:ポンチ絵

2020.12.8

総理大臣誌上検定

プレジデント社の「PRESIDENT」にポンチ絵を描きました。
こちらが掲載号。久しぶりにこんなに油でギトギトした表紙を見ましたよ。

国会議員になる者なら誰でも総理大臣を目指すのでしょうか。だって国を動かしたいと思って政治家になるんですもんね。
創刊から57年も経っているという老舗の雑誌「PRESIDENT」には、今まで数々の国会議員に取材をして来た蓄積があります。つまり政治家たちの素顔に接してきたわけです。一体彼らはどのようにして政治家になったのか。そんな政治家たちのエピソードをもとにしたクイズです。
満点ならあなたも政治の道へ進むべし!
題して「総理大臣誌上検定」!

第1問
名刺交換のとき、相手に良いイメージを植え付けるなら?
A 名刺を拝む
B 名前をいじる

第2問
選挙運動中、農作業中の有権者が手を振ってきた。どうする?
A田んぼに入る
B車から手を振る

第3問
愛人との逢瀬に使うのはどっちのホテル?
A超一流ホテル
B三流ラブホテル

第4問
選挙活動に使ったパソコンはどうする
A秘書の自宅
Bドリルで破壊

第5問
機密情報の共有、最適な手段は?
A電話とFAX
Bメール

第6問
手土産の渡し方、政治家に喜ばれるのは?
Aのしをかける
Bのしをかけない

第7問
2021年の手帳、買うべきなのはどっち?
A六曜入り
B日曜はじまり

正解発表!
第1問 B「どうでもいい話を面白さ100倍に盛って盛りまくれ!」
第2問 A 「田んぼは文字通り票田である。人たらしになるべし!」
第3問 A「一流ホテルには出入り口が多くて逃げやすい。一流ホテルを使う者が秘密の逢瀬を制す!」
第4問 B「警察が来る前、おっと投票日の夜8時までにパソコンをぶっ壊せ!」
第5問 A「ビジネスの正解は政治家の不正解。どんな秘密も燃やせば誰にも知られない!」
第6問 A「手土産の外のしを外して、使いまわせ!」
第7問 A「結婚式は大安、葬式は友引を避ける、必勝祈願パーティーを仏滅にやるか?たとえ迷信であっても永田町は六曜で動いている!」

はい、いかがでしたか。私は満点でしたけどね。
※雑誌掲載とはやや違う文言で書いてます。あと、雑誌掲載では全部で8問あったけど、うち1問はイラストがなかったのでカットしました(笑)あしからず。

2020.12.1

かわいいから好き、三島由紀夫

三島由紀夫の本は数冊しか読んでないけど、三島由紀夫の絵は何枚も描いてきた(自主制作で)。
逆に夏目漱石の本はだいたい読んだし、絵も何枚か描いてるけど、三島由紀夫ほどには面白く描けない。

三島由紀夫の肖像

寺山修司にのぞかれる三島由紀夫

野坂昭如と殿山泰司と色川武大と三島由紀夫

先日、未見だった三島由紀夫の主演映画『からっ風野郎』を観たけど、始終、三島由紀夫がかわいくて退屈しない。演技が下手ということだけではくくれない。
三島由紀夫はエピソードが歩いていると言ってもいいほど、彼について語られるエピは多い。そしてどれもがかわいらしい。かわいいと思う理由はどのエピにも本心が見えるからで、素っ裸な三島由紀夫がいる。エピソードが面白い人というのは滅茶苦茶な人が多いのに、三島由紀夫は誠実で努力家で優しい人なんだ。不思議。
三島由紀夫の字が好きだ。丁寧で綺麗な字なのに惹きつけられる。丁寧で綺麗だなんてつまらないことではなかったか。人生は生き急いでいるのに、字は急いでないね。
何を言っても何をやってもエピソードになるという人は、やっぱりズレているんだろう。

川端康成と三島由紀夫と金閣寺と

文壇座談会

『人斬り』の演技は立派で、切腹シーンは張り切ってハラキリしている。
引用すると負けた気になるWikiに、五社英雄監督が田中新兵衛役を依頼するため三島邸を訪問した時のことが書いてある。
〈三島は「私は時代劇てものはやったことがないけど鬘はのるかね?」とニコニコしながら、すでに気持は決まっていたにもかかわらず、それでも一応勿体つけた様子で、「ともかく明日中に返事をします」と五社を見送った。しかし三島は我慢できずその日の晩すぐに五社に電話を入れ、「ぜひ出させてくれ」と引き受けた。〉
かわいいではないか。割腹自決する前年の話だ。

1970年の岡本太郎と三島由紀夫

三島由紀夫図書館

我が絶対的恩師、長沢節と三島由紀夫のエピもいい。
三島由紀夫の方から長沢節に興味を持って会いたいと言ってきたみたい。三島が新鋭作家として登場した頃。昭和21年頃(1946)頃だろうか。鎌倉文庫が席を設けてくれて、日本橋の料亭で初めて会った。
その後、三島は椎名町のアトリエにしょっちゅ遊びにくるようになって、長沢節がモデルを前に絵を書いていると、三島も脇でおとなしく何かの紙に同じように絵を描いてたんだって。
やっぱりかわいい。
ちなみに長沢節の方が三島由紀夫より8歳上。もちろんこの頃はムキムキになる前だったから、セツ好みとまではいかないまでも、許容範囲ではあったでしょう。
一度、ぼくは先生とタクシーに乗った時に、三島由紀夫のことを聞いたら「オレ、三島由紀夫からラブレターもらったことあるよ。でも捨てちゃったけどね!プッ!」とおっしゃっていました。


映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』も観ましたがよかったです。

三島由紀夫の絵は完全に自主制作で描いてきたけど、この度、記念すべき没後50年にあたり、「芸術新潮」が三島由紀夫特集を組み、頼まれて三島由紀夫を描くことになった。
読んでくだされ、見てくだされ。平野啓一郎さんの解説がとてもいいです。まさしく「21世紀のための三島由紀夫入門」になっています。

『英霊の声』零戦と船艦、こういうのを描かせると思いっきりヘタだ。逃げたい一心で描いている。

三島由紀夫のエンタメ小説『命売ります』は没後45周年にあたる2015年、突如ベストセラーになった。無理矢理1ページマンガにしております。気になるつづきはぜひ芸術新潮で。

座談の名手、三島由紀夫は安部公房と「二十世紀の文学」という対談をしている。どんな内容だか知りたいですか?知りたいですよね!なら、芸術新潮を買いましょう。

なんだコレは⁉︎
ポットになった三島由紀夫がなにか喋っているゾ!我ながら最高の絵が描けた。ともかく本屋に芸術新潮を買いに行くしかない!

2020.11.24

半芸術の志村神社

現代美術とは現代に生きる人が作った作品全てなんでものことなのですが、普通はなかなかそう言いません。「現代美術」というジャンルのことを指す場合が多いですね。
ただいま、3331Arts Chiyodaで開催中の「WAVE2020」に出品しております。この展覧会は特にジャンルもテーマもない展示で、言わば、現代に生きる人が作った作品という意味での現代美術なのかもしれません。

ワタクシなんぞはイラストレーターでげすから、何でもいいから作品出してくださいと頼まれると、逆に困ってしまいまして、さてどうしたものでしょうか。
展覧会自体にテーマがないということは鑑賞者に文脈をいっさい掴ませないということなのです。作る方は展覧会のテーマという文脈に自分のテーマを乗っけられないので、それぞれが一人相撲を取らないといけません。

一方「現代美術」というジャンルは、文脈というものをとても重要視するようです。美術史の文脈を踏まえた上で新たに何か付け加える。さらに今現在のNOWな問題を取り入れたり先取りしたりする。
自分のやってることにいかに説得力を持たせるかも腕のうちなので、現代美術家はプレゼン能力が非常に高い人が多い。
ワタクシなんぞはイラストレーターでげすから、そういう能力はあまり必要ない。絵の仕事に対して漠然と憧れを持っていたときから、現代美術作家ってどうやってなるのかサッパリ見当がつかなかったです。マンガ家はストーリーも作らなきゃいけないし、仕事自体が過酷。その点、イラストレーターは落書きの延長でなれると思ったのです。事実、落書きの延長でなれました。

「反芸術」という言葉の意味を、引用すると負けた気になるWikiからひっぱってきますと〈反芸術は芸術作品に対する定義で、伝統的な展覧会の文脈の中で展示されながら、真剣な芸術をあざ笑うかのような内容を持つ作品、また芸術というものの本質を問い直し変質させてしまうような作品のこと。さらに既存の芸術という枠組みを逸脱するような芸術思想や芸術運動のこと。〉だそうです。

今回の「WAVE2020」の一人相撲のテーマはコレにしましょう。いや「反芸術」なんてそんなツッパったこと出来やしない。せめて半分くらいは芸術という意味で「半芸術」でどうでしょう。(とうじ魔とうじさんの『半芸術』という本を昔読んだので、まぁ………パクリです)

日本という国は、古くから死んだら神様になる珍しい国です。菅原道真の怨霊を鎮めるため、東郷平八郎を顕彰するため、お国のために戦った英霊たちを祀るため。明治になって神道は国家神道になり、歪んだ形になりました。多大な犠牲を払って大日本帝国は崩壊。その反省からか戦後は死んでも神様にならなくなりました。
それはそれでなんとなくもったいない。前にも書きましたが、古今亭志ん生神社はあってもいいなと思います。笑いの神と貧乏神が一緒にいる神社。将来的に長嶋茂雄神社もありだと思います。

今年、もし今が戦前だったら確実にこの人は神になって神社ができただろうなと思うケースがありました。
それは志村けんさんです。コロナ禍の悲劇を国民と共有した喜劇王。未だ惜しむ声はやみません。やや持ち上げ方が過剰なんじゃない?とも思えるのですが、持ち上げすぎじゃなければ神になりません。
志村神社の作品化は、特殊な文脈を持つ日本という国と、現在起こっている出来事とを、つなぐことが出来るのではないでしょうか。
現代美術は造形物が必要ですが、神社を建てるのはめんどくさすぎます。もっと簡単なもの。絵馬でどうでしょうか。

長々と下手なプレゼンを述べてまいりましたが、そんなこと汲み取ってもらえなくても、笑って見ていただければ本望でございます。「WAVE2020」展は29日まで開催してます。

以下「アイーン」への道。

えっと、右手をこうして、っと。

せいの、アイーン!「ダメダメ全然アゴ出てないよ」by撮影者

アイーン!こう?「え〜、もっと出ないの?」by撮影者

俺ってどっちかというとややしゃくれ気味なんだけどなぁ、アイーン!

「横から撮ったらアゴ出るんじゃない?」by撮影者

はじめて「アイーン」をやってみたが、確かにあとで写真を見ると全然「アイーン」になってない。撮影者に言われてあごも精一杯出したつもりだが、その指示にも間違いがあった。アゴを出すと同時に口角を上げなければいけなかったのだ。アイーンへの道は遠い。

2020.3.3

歴史にパンチ!歴史にポンチ!

インフルエンザにかかったことがない。
ここ7、8年は風邪もひいたことがない。その前は年に一度くらいは風邪をひいていたもんだが。めちゃめちゃ免疫力が高くなっているのだろうか……そんなプチ万能感にひたっていたが、思い返せば、8年前にバイトをやめている。イラストレーターを専業にすると家にいることが多いので、結局は風邪をうつされる機会が減っただけなのでは、という結論に至った。

あ、そうそう。京都の嵯峨嵐山文華館で開催中の「百人一首って」展も3月2日〜17日まで臨時休館。21日に予定されていたトークショーも中止となりましたので、ご報告申し上げます。

日本にやってきた画家チャールズ・ワーグマンが1862年に創刊したのが「ジャパン・パンチ」。雑誌名はイギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」に倣った。
そこで描かれた滑稽で風刺の効いた絵を「ポンチ絵」と呼ぶようになった。ところで「平凡パンチ」のパンチはただのグーで殴るパンチの意味なんでしょうか。

今週は、ポンチ絵描きのはしくれの、最近の仕事でも紹介して終わることにしましょう。
雑誌「てんとう虫」で連載されている小和田哲男さんの「新訂 日本の歴史」に絵をつけています。歴史の授業で習ったことも、今はそうじゃないってことが結構あります。

●歴史の授業で日本最古の通貨と教わった和同開珎。しかし、幻の通貨とされていた富本銭(ふほんせん)が数多く出土されて、今ではこっちが最古の通貨になっている。2行に要約すると、コラムの内容はそういうことでした。ポンチ絵師はない頭を使ってどう描く?

物々交換で、稲や布などが銭貨の代わりだったのを、唐に倣って貨幣経済を実現しようとしました。その1300年後、我々はまた中国に倣おうとしています。

●1192年が鎌倉幕府の成立で「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と教わったけど、幕府の骨格、実質的な支配機構を考えると、1185年「イイハコ(箱)」説が主流になりつつあるようです。ポンチ絵師は知恵がないので、そのまんま箱の展開図にしてみました。

●源頼朝の肖像画が、実は源頼朝じゃない、というのも最近は確定的になっている。
いかにも源頼朝ってこんな人だったかもな〜って感じしてたけど。あれは誰かというと足利直義(足利尊氏の弟)。そうすると足利直義がなかなかの雰囲気の人だったんですね。足利尊氏の肖像画も実はあれは高師直(こうのもろなお)って人なのではないかという説が強い。
武田信玄も全然違う顔らしいね。
黒澤明の「影武者」は勝新太郎をという役者を使ってみたいという理由以外に、武田信玄の肖像に勝新太郎がよく似ているということもあったはず。つまり、武田信玄の肖像画が別の人だったら勝新にオファーしなかったかもしれないですよね。

勝新VS黒澤事件はもうずいぶん前のことですが「てんとう虫」の読者年齢層的にはつい昨日のようなことだと思って描きました。

●神仏も恐れぬ所業で大殺戮を行った残忍非道な激情家、織田信長。
比叡山延暦寺焼き討ちは有名です。「信長公記」にも同時代の人の日記にも、そのヒドさが記されている。
しかし、後の発掘調査で明らかになってきたことは、比叡山焼き討ちは小規模だったということ。「全山の諸堂が紅蓮ぐれんの炎に包まれ、大殺戮がくりひろげられた」とするイメージからはほど遠いということが浮き彫りになってきたらしい。
では山科言継や宮中の女官が書いた日記は嘘だったということか。
いや、京都から比叡山はよく見える。夜空を焦がす火を見れば、相当焼けてるなと思っても不思議じゃないし、噂には尾ひれがつく。
そういうこと今もよくあるよね?

●織田信長が武田勝頼を破った長篠・設楽原の戦い。中世的騎馬軍団VS近世的鉄砲隊の戦いということで「信長の鉄砲革命」とも言われてきた。
いや、それもちょっと待った!
その理由を書くのはこのブログの役目ではないので書かないが(笑)テレビや映画で見てるイメージとはだいぶ違うみたいよ。