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2020.7.14
その衝撃を「ヘタうま」という。
今日は対談の更新をもってブログの更新とす。
というわけで【対談】都築潤×南伸坊×伊野孝行の4回目更新しました。
中学生の頃から映画のチラシを集めたり、「年鑑日本のイラストレーション」を見ていた都築さん。おませなイラストファンだったのです。でも、その都築さんが予備校生の時にはじめて湯村輝彦さんの絵を見た時の反応が面白い!
「こんな下品で汚い絵が世の中にあるんだ」とショックを受けて、その後、都築さんは改宗して、ご自身もヘタうまな絵を描き出すわけですが、お話を聞いていると、当時の業界でさえ、湯村輝彦さんの絵に対する拒否反応があったんですね。その衝撃こそが「ヘタうま」だとする都築さんの主張(狭義の意味でのヘタうまは湯村輝彦だけ)にもうなずけます。
ぼく自身は、湯村輝彦さんよりも前に、蛭子能収さんを知ったんです。ついでに言えば横尾忠則さんよりも先に蛭子能収さんを知った。それらは少しの時間差でしたけど、はじめて見たものを親だと思い込む、カモの子みたいに、蛭子さんの見た時のびっくりさが、自分の中の絵画史ではおっきいんです。
でも、すぐ後に、湯村さんの方がウマい!とわかりました。ヘタうまにウマいと言うのもなんですが。そして私も湯村さんの大ファンになっていきます。
ちなみにその頃、蛭子さんはテレビには出てませんでしたし、名前の読み方もわかりませんでした。
ぼくの時代はヘタうまがブームになった後だったので、特に拒否反応もなく、むしろ尻尾を振って好きになっていったのですが、ぼくより9歳上の都築さんの拒否反応がすごく新鮮でしたね。
読んでくださいね、チョーめんどくさいんですから。文字起こしとか、図版入れたりするの。
2020.6.30
文明崩壊鳥獣戯画対談
ネットで調べ物をすることもあるが、だいたいはダラダラと見ている。
だから、このブログもダラダラ〜っとした時に見られている可能性は大きい。だからといって、ダラダラ〜っとブログを書いていいものだろうか。(いいに決まってるじゃないですか)
今日はジョギングの日だったので、ダルい。朝ごはんも食べすぎた。窓からは涼しい風が、眠れ眠れと囁く。
こうしてキーボードを打っていても、油断するっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ、と一つのキーを長押ししてしまう。
寝た方がいい。寝よ。
(30分経過)
起きたばかりで頭がボーっとして、やはりブログに集中できない。やはり今週は(今週も)最近の仕事を載せて終わらせよう。
「TRANSIT」第48号。特集は「文明はなぜ崩壊する?美しき古代文明への旅」。文明滅亡への6つの引き金、「文明滅亡あるある」を絵にしました。
新コロのせいでお店が閉店したのは目撃した。もう少しスパンを大きくとれば、生きて来た半世紀の中で、滅びてしまった習慣や文化もあった。でも、文明が崩壊するという局面にはまだ立ち会っていない。いつか必ずこの地球星が終わる日も来るわけで、その時の立会人のことを思うと気の毒である。
ISが文明の遺跡を破壊する愚行。でも、地球最後の日にピラミッドを持って逃げられない。結局、長い時間の中ですべては崩壊することになっているのだ。あーあ。
「芸術新潮」今月は鳥獣戯画特集。全巻全場面一挙掲載の折込ページあり。私は明恵上人の夢記をいろいろマンガ化しております。中でもお気に入りは、子犬の夢。夢でなくては思いつかない解決法。
特集では他にも大高郁子さんゑがく須弥山世界、水沢そらさんゑがく藤野可織さんの書き下ろし小説「鳥獣戯画縁起 彼女たちのやりたいこと会議」の挿絵も載っている。偶然3人とも水彩画。空前の水彩ブームか。
編集部的に3人とも水彩なのはどうだろう。ちがう描き方が混じった方がよかったかな。でも、妙に統一感があるのも面白い。3人とも水彩といっても紙も絵の具も技法も違うだろう。なかなか二人のように描けない。
さて、鳥獣戯画であるが、じっくり見ると「丙巻」の動物たちかわいいなー。鳥獣戯画といえば「甲巻」の絵ばかり見させられるので、見慣れてしまったせいかもしれない。「甲巻」と「丙巻」の動物をそれぞれ人間に戻したら、「甲巻」にはまともな人間が、「丙巻」にはクレイジーな人間が現れると思う。
先日、山口晃著「ヘンな日本美術史」を読み返したら、山口晃さんは鳥獣戯画の〈「上手でございます」ぶりがやや退屈に感じられてしまうのです〉と書かれていた。人は自分の問題として他人の絵を見るのですねー。
しかしまぁ、「丁巻」とか私でも描ける気がするような適当っぽさ。おまけでくっついて国宝になっちゃいました、ってことですよね。そんな僥倖にあずかりたい。研究者の方によると「丁巻」も相当描ける人が流して描いたようだ。そうかなぁ、あんまり上手いとは思わないですね。
ああ、そしてこれを紹介しておかなくては。
これは仕事じゃなくて、趣味でやっているものだけど、都築潤さんと南伸坊さんとの対談。
第3回「芸術やるんだったら絵なんて描いてたらダメだった」
え?芸術をやるんなら絵じゃダメだった?信じられないかもしれませんが、そんな時代があったようです。
でも、実は内心、みんな絵を描きたかった。そこに登場したのが…(つづきは対談で)!
2020.6.9
対談2回目更新
あー、さっき対談の2回目「石膏デッサンはインベーダーゲームと同じだ」を更新して、疲れた。
もうブログまで更新する余力はない。
というわけで対談を読んでください。
石膏デッサンなんてやりたい人がやればいいだけ。
デッサンが下手=絵が下手では全然ないし。コンプレックスに思うのは誠にもったいないことです。美大受験の選抜方法として採用されてるだけで、絵の基本でもなんでもない。もういい加減にデッサンの呪縛から解放してあげてほしい。
自分が描きたい絵を描く。そのために必要な基本は人それぞれ、十人十色、百人いれば百通りの基本があるんじゃーっ‼︎
2020.5.26
志村けん神社・対談 都築潤
緊急事態宣言解除も一夜明けて、人々は徐々に普段通りの生活に戻っていく……のがいいことなのかどうか、疑問を持ってしまった人もいるだろう。経済的には元に戻った方がいいに違いないとしても、あの、のんびりした気分とおさらばするのが寂しい。
昨日は善福寺川緑地(川沿いにずっと続く緑地)を自転車で走った。
冬から春になる時、自然はゆっくり変化する。でも春から夏になる時自然は急ぎ足だ。緑地が夏の帝国に支配されるのはもうすぐ。
緊急事態宣言よりも先に日本人の気持ちを緊急事態にさせたのは、志村けんが亡くなったことだ。
喜劇の王様は悲劇の英雄のように持ち上げられた。
きっと戦前だったら「志村けん神社」がおっ建てられる。あぶない、あぶない。
人間も、いや人間以外でも神様になれる、この国の不思議な宗教観が嫌いではない。「古今亭志ん生神社」と将来的に「長嶋茂雄神社」は建ててもいいと思っている。コロナと関係なかったら「志村けん神社」も建ててもいい。
この絵は、今売りの「芸術新潮」に掲載されている。美術ジャーナリスト藤田一人さんの展評につけたものだが、文章を絵解きしたものではないので、文中に志村けん神社の話は一切出てこない。あしからず。
さ、今日の本題は次のこと。
このホームページのメニューに「対談」というのがあるが、まだ一度も新規の更新をしていなかった。外部のブログサービス「note」を利用している。
南伸坊さんと私の対談部屋として用意してあった。誰かゲストを呼んでやるつもりでいた。つもりでいながら半年が経ってしまった。だが、ついに昨日更新した。ゲストは都築潤さんです。
お酒を飲みながら6時間くらい収録したので、血中アルコール濃度が高くなるにつれ、話も弾んでいった。都築潤さんも以前、話を聞きたいイラストレーターを個人的に訪ねていたそうだ。
4回分の原稿はできているが、まだ全体の半分しか文字起こしが出来ていない。皆さんの反応がいいと、文字起こしも頑張れると思うので、どうぞよろしくお願いします。
メニューからも入れますが、ここにもリンクしておきます。