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2020.11.24
半芸術の志村神社
現代美術とは現代に生きる人が作った作品全てなんでものことなのですが、普通はなかなかそう言いません。「現代美術」というジャンルのことを指す場合が多いですね。
ただいま、3331Arts Chiyodaで開催中の「WAVE2020」に出品しております。この展覧会は特にジャンルもテーマもない展示で、言わば、現代に生きる人が作った作品という意味での現代美術なのかもしれません。
ワタクシなんぞはイラストレーターでげすから、何でもいいから作品出してくださいと頼まれると、逆に困ってしまいまして、さてどうしたものでしょうか。
展覧会自体にテーマがないということは鑑賞者に文脈をいっさい掴ませないということなのです。作る方は展覧会のテーマという文脈に自分のテーマを乗っけられないので、それぞれが一人相撲を取らないといけません。
一方「現代美術」というジャンルは、文脈というものをとても重要視するようです。美術史の文脈を踏まえた上で新たに何か付け加える。さらに今現在のNOWな問題を取り入れたり先取りしたりする。
自分のやってることにいかに説得力を持たせるかも腕のうちなので、現代美術家はプレゼン能力が非常に高い人が多い。
ワタクシなんぞはイラストレーターでげすから、そういう能力はあまり必要ない。絵の仕事に対して漠然と憧れを持っていたときから、現代美術作家ってどうやってなるのかサッパリ見当がつかなかったです。マンガ家はストーリーも作らなきゃいけないし、仕事自体が過酷。その点、イラストレーターは落書きの延長でなれると思ったのです。事実、落書きの延長でなれました。
「反芸術」という言葉の意味を、引用すると負けた気になるWikiからひっぱってきますと〈反芸術は芸術作品に対する定義で、伝統的な展覧会の文脈の中で展示されながら、真剣な芸術をあざ笑うかのような内容を持つ作品、また芸術というものの本質を問い直し変質させてしまうような作品のこと。さらに既存の芸術という枠組みを逸脱するような芸術思想や芸術運動のこと。〉だそうです。
今回の「WAVE2020」の一人相撲のテーマはコレにしましょう。いや「反芸術」なんてそんなツッパったこと出来やしない。せめて半分くらいは芸術という意味で「半芸術」でどうでしょう。(とうじ魔とうじさんの『半芸術』という本を昔読んだので、まぁ………パクリです)
日本という国は、古くから死んだら神様になる珍しい国です。菅原道真の怨霊を鎮めるため、東郷平八郎を顕彰するため、お国のために戦った英霊たちを祀るため。明治になって神道は国家神道になり、歪んだ形になりました。多大な犠牲を払って大日本帝国は崩壊。その反省からか戦後は死んでも神様にならなくなりました。
それはそれでなんとなくもったいない。前にも書きましたが、古今亭志ん生神社はあってもいいなと思います。笑いの神と貧乏神が一緒にいる神社。将来的に長嶋茂雄神社もありだと思います。
今年、もし今が戦前だったら確実にこの人は神になって神社ができただろうなと思うケースがありました。
それは志村けんさんです。コロナ禍の悲劇を国民と共有した喜劇王。未だ惜しむ声はやみません。やや持ち上げ方が過剰なんじゃない?とも思えるのですが、持ち上げすぎじゃなければ神になりません。
志村神社の作品化は、特殊な文脈を持つ日本という国と、現在起こっている出来事とを、つなぐことが出来るのではないでしょうか。
現代美術は造形物が必要ですが、神社を建てるのはめんどくさすぎます。もっと簡単なもの。絵馬でどうでしょうか。
長々と下手なプレゼンを述べてまいりましたが、そんなこと汲み取ってもらえなくても、笑って見ていただければ本望でございます。「WAVE2020」展は29日まで開催してます。
以下「アイーン」への道。
えっと、右手をこうして、っと。
せいの、アイーン!「ダメダメ全然アゴ出てないよ」by撮影者
アイーン!こう?「え〜、もっと出ないの?」by撮影者
俺ってどっちかというとややしゃくれ気味なんだけどなぁ、アイーン!
「横から撮ったらアゴ出るんじゃない?」by撮影者
はじめて「アイーン」をやってみたが、確かにあとで写真を見ると全然「アイーン」になってない。撮影者に言われてあごも精一杯出したつもりだが、その指示にも間違いがあった。アゴを出すと同時に口角を上げなければいけなかったのだ。アイーンへの道は遠い。
2020.5.26
志村けん神社・対談 都築潤
緊急事態宣言解除も一夜明けて、人々は徐々に普段通りの生活に戻っていく……のがいいことなのかどうか、疑問を持ってしまった人もいるだろう。経済的には元に戻った方がいいに違いないとしても、あの、のんびりした気分とおさらばするのが寂しい。
昨日は善福寺川緑地(川沿いにずっと続く緑地)を自転車で走った。
冬から春になる時、自然はゆっくり変化する。でも春から夏になる時自然は急ぎ足だ。緑地が夏の帝国に支配されるのはもうすぐ。
緊急事態宣言よりも先に日本人の気持ちを緊急事態にさせたのは、志村けんが亡くなったことだ。
喜劇の王様は悲劇の英雄のように持ち上げられた。
きっと戦前だったら「志村けん神社」がおっ建てられる。あぶない、あぶない。
人間も、いや人間以外でも神様になれる、この国の不思議な宗教観が嫌いではない。「古今亭志ん生神社」と将来的に「長嶋茂雄神社」は建ててもいいと思っている。コロナと関係なかったら「志村けん神社」も建ててもいい。
この絵は、今売りの「芸術新潮」に掲載されている。美術ジャーナリスト藤田一人さんの展評につけたものだが、文章を絵解きしたものではないので、文中に志村けん神社の話は一切出てこない。あしからず。
さ、今日の本題は次のこと。
このホームページのメニューに「対談」というのがあるが、まだ一度も新規の更新をしていなかった。外部のブログサービス「note」を利用している。
南伸坊さんと私の対談部屋として用意してあった。誰かゲストを呼んでやるつもりでいた。つもりでいながら半年が経ってしまった。だが、ついに昨日更新した。ゲストは都築潤さんです。
お酒を飲みながら6時間くらい収録したので、血中アルコール濃度が高くなるにつれ、話も弾んでいった。都築潤さんも以前、話を聞きたいイラストレーターを個人的に訪ねていたそうだ。
4回分の原稿はできているが、まだ全体の半分しか文字起こしが出来ていない。皆さんの反応がいいと、文字起こしも頑張れると思うので、どうぞよろしくお願いします。
メニューからも入れますが、ここにもリンクしておきます。