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2022.7.25
狂雲集・一休さんの詩の世界
実に9ヶ月ぶりのブログ更新です。
12年間毎週更新してたのに、不定期になったらこの有様。
4年続けていた週2回のジョギングも、パートナーの近所の喫茶店のおじさんが病気になって(今は回復)半年ほどやめている。それに変わって5ヶ月くらい続けているのが毎日のウォーキングです。正直、週に2回のジョギングでは健康診断の数値に何も影響がなかった。聞くところによると毎日8000~10000歩、歩くとかなり数値が改善されるらしい(水道橋博士がyoutubeの雑談で言ってた)。
決めたことを淡々と続けるのは、そんなに嫌いじゃない。
さて、ブログを更新したということは近々イベントがあるということ。ちょっとちょっと聞いてくださいよ。来週から軽井沢で個展がありますのよ。
「狂雲集 一休さんの詩の世界」軽井沢の酢重ギャラリーで7月30日〜8月16日。
また一休さんである。ブログを振り返っても一休一休。どんだけしつこいねん。
首尾貫徹しない態度の持ち主、一休宗純も、漢詩だけはしつこくずっと作り続けていた。千首を超える漢詩は「狂雲集」という詩集にまとめられている。恋に悶える愛欲漢詩、情事をあからさまに綴ったエロ漢詩、禅門禅僧への悪口漢詩、高らかに自分を持ち上げておきながら時々自己嫌悪になる正直漢詩……あと意外にのんびりしたのほほん漢詩も時々あって、それもいいです。
一管の尺八は、悲しみを伝えて、心は堪えがたい、
辺境に吹く胡人の芦笛の調べが偲ばれる。
町中で吹く尺八の音は、何の曲か、
禅門に一緒に尺八の音色を語り合う友はいない。
今度の個展は一休さんの漢詩を絵画化したものがメインです。加えてZENをテーマに作ったもの、合わせて約50点。
東京で展示をやると、ふだん人付き合いも愛想も良い私だから、多くの人が見にきてくれるのだが、軽井沢に友達は少ない。というかギャラリーの人しか知り合いはいない。だからお客さんも少ない。別段個展をやりたいわけじゃないのだが、ギャラリーのTさんが昨年の一休寺のトークショーにまで現れて頼まれた。驚いてつい弾みで「やります」と受けてしまったのだ。人を動かすのも、自分を動かし続けるのも執着心。
私のことをよく知っている人は、また一休かと思うでしょう。私自身がそう思っている…。だが、それは半径の小さい世界の話で、世間はほとんど知らないことなのです。自分もまわりも飽きてきた頃にようやっと世間に届くと言います。
先月、Eテレの「日曜美術館」に出ました。(特集「ユニークな肖像画が語る異色の人物たち」)これもしつこく一休一休やり続けていたからこそではないか。実は未だに、一休さんをテーマに絵を描くことには飽きてはいない。マンネリの中に常に新鮮さを見出すことが、偉大なるマンネリへの道なのである。長い人生はマンネリを抜きには過ごせないのです。
あ、申し遅れましたが、暑中お見合い申し上げます。
この絵は2年前軽井沢に滞在していた頃を思い出して描きました。雲場池の周りを歩いている写真を元にした。酷暑の中、暑い東京を抜け出して軽井沢で過ごせる…それだけでも個展を引き受けた甲斐はあるというもの。東京からは新幹線で1時間(5000円くらいだったかな)で行けます。4回くらい東京と軽井沢を行き来しようと思っていますので、行ってやろうというご友人の方は連絡ください。
2021.10.28
一休フェス
今年からブログを不定期更新にしたら、案の定、全く更新しなくなりました。
かろうじて更新するときは、何か特別なお知らせや、イベントのある時だけになっています。4月以降はほぼ一休さん関連のことばかり。今回もそうです。でも、今回がある意味“ファイナル一休”かもしれません。私の一休を追う旅がたどり着いた場所。
11月1日から28日まで、一休さん終焉の地、酬恩庵一休寺にて「一休宗純没後540年 一休フェス 〜keep on 風狂〜」が開かれます!
高僧の名前にフェスをつけて許されるのは一休さんくらいでしょう。また似合うのも。
誰がつけたんですか、こんなタイトル。
はい、私です。
酬恩庵一休寺の副住職、田邊宗弘さんが、私の4月のHBギャラリーの個展「風狂」を、「ウチのお寺でもやれませんかね」とお声がけしてくださいました。この「ガムテープの一休さん」もついに、本物の一休像と並ぶわけです。感慨深すぎますよ……。
フェスと銘打ったからには、展示以外のイベントもいろいろ。
まず、これが極めて重要なんですが、一休寺には「開山堂」というお堂がありまして、屋根の修復をしないといけないんです。そういうのって国からお金が出たりするんじゃないの?って思うでしょう。開山堂が建てられたのは昔々なんですが、実は一回、大正時代に建て直しているんです。そのため文化財未指定。屋根は檜皮葺で葺き替えると40年くらいは持つけど、いかんせん短命です。
この開山堂の屋根を思い切ってチタンにしようと一休寺は考えています。
実はチタンは金閣寺などでも採用されていて、今回担当される棟梁、木下幹久さんが手掛けています。また木下幹久さんの義父である木下孝一さんは数寄屋大工の名工だった人で、一休寺とも深いご縁のある方です。現代の知恵と技術を伝統に結びつけるプロジェクトなんです。
それでね、よかったら皆さんの暖かいご支援も賜りたいってことで、クラウドファンディングも行います。
リターンとして、特製「一休さん手ぬぐい」他、ここでしか手に入らないいろんなものを用意しております。下記のリンクよりクラファンのページに飛べます。どうぞよろしくお願いします。↓
令和に息づく新たな文化財を創る。酬恩庵一休寺 開山堂修繕にご支援を
あとは、トークイベントあります。
もう、すごいですよ。日本を代表する一級の一休研究者の先生方が三人も出てくださいます。私も客席にまわって聴きたいくらいです。しかも無料という太っ腹。もう満席に近いようですが、当日Instagramで配信もされますので、よかったら聞いてください。
ま、そんなとこだったかな。
あ、とんち菓子「通無道」(つうむどう)というのを開発したんですよ。一休寺×萬々堂さんで。萬々堂さんは奈良の老舗和菓子屋。この「通無道」ていうのは拙著『となりの一休さん』の漫画が元になってるんです。これも副住職のアイデアと実行力のおかげです。
歴史あるお寺が現代とどう結びついて、何をやるのかっていうのは、いろんなお寺が試行錯誤されていると思います。
一休寺は私なんかに声をかけてくれるんだから、ヘンですね。大丈夫かなぁ。
ぜひ、この秋は紅葉の名所、日本禅の重要地、酬恩庵一休寺にいらしてください。
2021.5.7
そして「風狂」は去った。
去る4月21日、個展「風狂」は無事終わりました。終わった直後に、小池百合子都知事により緊急事態発令。僕はラッキーだったと言えるが、後の週に展示をやる人のことを考えるとせつない。
ざっと写真で振り返っておこう。
搬入自体は自宅からワゴン車でギャラリーまで乗り付けたが、今回の目玉作品、ヴィトンのカバンは持ち主(ギャラリーの近所に住んでおられる)の家に取りに行った。
金地に黒の風狂の文字、近くに寄って見ると、特殊な描法で描かれているが、この写真ではわからない。
2年ほど前にTwitterでバズって、我が物となった三ハゲ老人「開巻一笑」が迎える入り口。左上のレジャーシートで作った掛け軸は、仙崖和尚の禅画『○△□』のオマージュである。
禅では狂や奇の形を取って現れる自由を「風狂」と呼ぶ。
入って右側の壁。
入って左側の壁。
左は禅の円相のつもりのドーナツ。右は『四睡図』
ドーナツの反対側は「通無道」…つうむどう?無い道を通る?禅語でしょうか。いえいえ、逆から読んでドーナツ。「これ食うて茶飲め」ということ。
「南泉斬猫」をマンガにした。有名な禅問答。唐の時代の人は答えようもない問をうまく考えた。答えようとすると理屈や常識が邪魔する。え?読めない。拙著『となりの一休さん』でも紹介してます。
「隻手音声」は江戸時代の白隠和尚の作った禅問答。
「お経お経とありがたがるな、元はと言えば糞を拭く紙と同じだぞ」臨済の言葉であり、一休もそう言った。はい、ビジュアル化してみました。
この日はカンフーシャツを着ていたので、カンフーポーズ。(来場者のカメラより)
一休さんの頂相(ちんそう=高僧の肖像画)
一休さんの詩に絵をつけた。
これは一休さんが悟った時の詩です。
これは一休さんの恋愛漢詩「恋する法師一休」。拙著『となりの一休さん』に載ってます。
一休さんの頂相。ガムテープ立体バージョン。
ここでおもむろにポーズ。(来場者のカメラより)
いきなり何の絵だ?と思われるでしょうが、「すきまの形」というシリーズです。家電製品の箱の中に入っている緩衝材。こいつら存在自体がポジに対するネガ。箱から出せばゴミ。物事や視点をひっくり返す禅の精神にとどこかつながるような気がして…。
これも緩衝材。この裏は「四睡図」になっています。静物画と静かな眠り。
ここでウィンク。(来場者のカメラより)
「虎と美人」。
天地がひっくり返った宇宙山水図。文殊菩薩(寒山)はお経のロケットに、普賢菩薩(拾得)は箒に乗っています。
「風狂だョ!仙人集合」。南方熊楠や売茶翁、熊谷守一など風狂な人と仙人たち。一休さんはなぜか孫悟空。
悟りへの道を10段階で示した「十牛図」。しかし、展示してあるのは半分の5枚だけ。途中で力尽きたからじゃ。
第4の段階「得牛」
お釈迦さま時代の袈裟は、ゴミ溜めに捨てられた布や、死者が纏っていた着物を再利用して作ったそうで「糞掃衣」(ふんぞうえ)と呼ばれていた。こういうキャプションがつくと抽象画も納得して見られるでしょう。わっははは。
寒山拾得はコジキのような姿で描かれることが多い。なのでここも同じく「糞掃衣」で。写真を取り忘れたが裏に寒山がいる。
「くもりなきひとつのつきをもちながらうきよのやみにまよひぬるかな」一休さんの道歌。でも実は後世の作らしい。
一休さんのリスペクトする大燈国師(大徳寺を開山したお方)。
風狂僧、普化(ふけ)の最期。なんとも味わい深い最期である。え?読めない。拙著『となりの一休さん』でも紹介してます。
ここでいきなりテーマが禅から宗教へ(笑)。日本は神仏習合の国でありますし、いい加減にごちゃ混ぜなところが極端に走らず、ちょうどいい加減な塩梅を保っているのかも。日本では亡くなった人は神になります。この人は神になっていいという人たちを絵馬にしました。
俺は風狂の画人、伊野孝行。狂った風を巻き起こす。
昼寝と寝酒は朝飯前。
ライバルのイラストレーターzenzenいない。
南に行こうか、北に行こうか。
西に行くと見せかけて、東に行くと見せかける。
『となりの一休さん』も風狂積み。書店、ネットで好評発売中!
毎日新聞4月24日の書評より。
2021.4.1
個展「風狂」開催!
新刊『となりの一休さん』が発売されると(春陽堂書店刊)、頭が自然に「本をみなさんに届けたい」モードに切り替わってしまい、SNSでやたら宣伝ばかりしてしまう。
すみません。でも、本屋さんに置いてもらうのもなかなか大変なのです。
友人たちが「本屋にあったよー」と写メを送ってくれると、ことごとくガチな仏教コーナー(笑)。書籍コードにそういう情報が入っているのでしょう。いきなり鈴木大拙のとなりに並ぶ『となりの一休さん』なのです。
『となりの一休さん』はエッセイ棚とか、同じ仏教でも美術関連の禅コーナーとかの方がお客様と通じる気がするんだけどなぁ。
なぜかと言えば、美術畑の人間が書いた本だから。絵の好きな人とは通じ合えると思い込んでいます。
さて、そんな美術畑の私の主戦場である個展が開催されます。
日時は4月16日(金)〜21日(水)。場所は表参道のHBギャラリー。
テーマは「風狂」。
(※ この展覧会は『となりの一休さん』の原画展ではありません。書籍は販売しています。)
「風狂」を辞書で引けば「気が狂うこと」「狂人」「風雅に徹し他を顧みないこと」などと書かれていると思います。
常軌を逸した発言、行動で人々を驚かせた一休さんも稀代の「風狂僧」でした。
なぜそんなことをするのかというと、奇や狂の形をとることで、いつの間にか沈殿してしまう人間の意識を攪拌し、自由の風を吹かせるためだと思います。
自由に生きる、自由に絵を描く、ってけっこう難しいことですよね。
狂っちゃえばいいの?
デタラメにやったからと言って、それは自由ではないかもしれません。
禅画というジャンルがあります。禅の心を伝える絵ってことでしょうか。
禅は「ZEN」となり、その思想が世界に影響を与えているのはみなさんもご存知のはず。もちろん美術も例外ではありません。言うなれば『となりの一休さん』も、個展「風狂」もその一つです。
禅の考えの中には、視座を転換させることも含まれています。だから現代美術とも相性がいいわけ。でもイラストレーターの身体の動かし方、筋肉の付きかたってあると思うんです。
自分なりに、禅やらZENやらをバックボーンに自由に絵を描いてみたい。
現代美術の人がZENを下敷きに作品を作るのとは少し違ったことが出来るといいです。
どうです?めちゃハードル上げてますよね?
自分でも心配です。
個展は、いかに自分でハードルを設定するかがミソで、面白くなるかならないかもそこにかかってきます。
たとえハードルを越えられず、着地に失敗したとしても、それでいいと思うんです。
始まる前から言い訳?
崩れ落ちて地面に打ちつけられる様子を何べんもスローモーションで見るのもまた一興。
さてここで問題です。
掲載したDMの言わんとすることは何でしょう?
チョコスプレードーナツは何を意味する?
通る道無し?無い道を通る?「通無道」は禅語?
ポクポクチーンと閃いた方はいますでしょうか。
勿体つけることもないので、答えを言いますと
ドーナツは禅で悟りの境地を表す「円相」です。「通無道」は逆から読んで「ドーナツ」。ただのお品書きでございます。
かわいい禅画で有名な仙崖和尚は、円相を描いて、横に「これ食ふて茶飲め」と書きました。
円相と思った?饅頭だよ〜ん、というからかいですね。
今日のブログは、私の緊急事態宣言。
家を飛び出し「風狂」を見よう!というお知らせでした。
会期中の午後は会場にいるつもりです。
お待ちしております。