新・伊野孝行のブログ

タグ:風狂

2021.5.7

そして「風狂」は去った。

去る4月21日、個展「風狂」は無事終わりました。終わった直後に、小池百合子都知事により緊急事態発令。僕はラッキーだったと言えるが、後の週に展示をやる人のことを考えるとせつない。
ざっと写真で振り返っておこう。

搬入自体は自宅からワゴン車でギャラリーまで乗り付けたが、今回の目玉作品、ヴィトンのカバンは持ち主(ギャラリーの近所に住んでおられる)の家に取りに行った。

金地に黒の風狂の文字、近くに寄って見ると、特殊な描法で描かれているが、この写真ではわからない。

2年ほど前にTwitterでバズって、我が物となった三ハゲ老人「開巻一笑」が迎える入り口。左上のレジャーシートで作った掛け軸は、仙崖和尚の禅画『○△□』のオマージュである。

禅では狂や奇の形を取って現れる自由を「風狂」と呼ぶ。

入って右側の壁。

入って左側の壁。

左は禅の円相のつもりのドーナツ。右は『四睡図』

ドーナツの反対側は「通無道」…つうむどう?無い道を通る?禅語でしょうか。いえいえ、逆から読んでドーナツ。「これ食うて茶飲め」ということ。

「南泉斬猫」をマンガにした。有名な禅問答。唐の時代の人は答えようもない問をうまく考えた。答えようとすると理屈や常識が邪魔する。え?読めない。拙著『となりの一休さん』でも紹介してます。

「隻手音声」は江戸時代の白隠和尚の作った禅問答。

「お経お経とありがたがるな、元はと言えば糞を拭く紙と同じだぞ」臨済の言葉であり、一休もそう言った。はい、ビジュアル化してみました。

この日はカンフーシャツを着ていたので、カンフーポーズ。(来場者のカメラより)

一休さんの頂相(ちんそう=高僧の肖像画)

一休さんの詩に絵をつけた。

これは一休さんが悟った時の詩です。

これは一休さんの恋愛漢詩「恋する法師一休」。拙著『となりの一休さん』に載ってます。

一休さんの頂相。ガムテープ立体バージョン。

ここでおもむろにポーズ。(来場者のカメラより)

いきなり何の絵だ?と思われるでしょうが、「すきまの形」というシリーズです。家電製品の箱の中に入っている緩衝材。こいつら存在自体がポジに対するネガ。箱から出せばゴミ。物事や視点をひっくり返す禅の精神にとどこかつながるような気がして…。

これも緩衝材。この裏は「四睡図」になっています。静物画と静かな眠り。

ここでウィンク。(来場者のカメラより)

「虎と美人」。

天地がひっくり返った宇宙山水図。文殊菩薩(寒山)はお経のロケットに、普賢菩薩(拾得)は箒に乗っています。

「風狂だョ!仙人集合」。南方熊楠や売茶翁、熊谷守一など風狂な人と仙人たち。一休さんはなぜか孫悟空。

悟りへの道を10段階で示した「十牛図」。しかし、展示してあるのは半分の5枚だけ。途中で力尽きたからじゃ。

第4の段階「得牛」

お釈迦さま時代の袈裟は、ゴミ溜めに捨てられた布や、死者が纏っていた着物を再利用して作ったそうで「糞掃衣」(ふんぞうえ)と呼ばれていた。こういうキャプションがつくと抽象画も納得して見られるでしょう。わっははは。

寒山拾得はコジキのような姿で描かれることが多い。なのでここも同じく「糞掃衣」で。写真を取り忘れたが裏に寒山がいる。

「くもりなきひとつのつきをもちながらうきよのやみにまよひぬるかな」一休さんの道歌。でも実は後世の作らしい。

一休さんのリスペクトする大燈国師(大徳寺を開山したお方)。

風狂僧、普化(ふけ)の最期。なんとも味わい深い最期である。え?読めない。拙著『となりの一休さん』でも紹介してます。

ここでいきなりテーマが禅から宗教へ(笑)。日本は神仏習合の国でありますし、いい加減にごちゃ混ぜなところが極端に走らず、ちょうどいい加減な塩梅を保っているのかも。日本では亡くなった人は神になります。この人は神になっていいという人たちを絵馬にしました。

俺は風狂の画人、伊野孝行。狂った風を巻き起こす。
昼寝と寝酒は朝飯前。
ライバルのイラストレーターzenzenいない。
南に行こうか、北に行こうか。
西に行くと見せかけて、東に行くと見せかける。

『となりの一休さん』も風狂積み。書店、ネットで好評発売中!

毎日新聞4月24日の書評より。